1995年創業の「とみや」。
開店当初は20席程度の小さな和食店でしたが、
おかげさまで今では本館・新館を併せ持つ広さになりました。
本館は個室を12室ご用意。
4名様用~20名様用まであり、
広々とした和室でお食事をお楽しみいただけます。
1995年創業の「とみや」。
開店当初は20席程度の小さな和食店でしたが、
おかげさまで今では本館・新館を併せ持つ広さになりました。
本館は個室を12室ご用意。
4名様用~20名様用まであり、
広々とした和室でお食事をお楽しみいただけます。
とみやのお料理はコース・単品全て和食でご用意しております。
お寿司や天ぷら、そば・うどんの麺類など多くのお食事メニューがあり、コースもご予算に合わせたものをお選びいただけます。
お酒もお馴染みのビールやサワーに加え、日本酒、焼酎、ワインも種類多く取り揃えているので、みなさまで楽しめるラインナップとなっております。
法事・法要のお食事に、お子様・ご長寿のお祝い、結納などの慶事に。 会社帰りやみなさまで集まる宴会・飲み会に、ご家族でのお食事に。 全て個室なので、ゆったりとお食事していただけます。
歴史ある町「関宿(せきやど)」。観光のご休憩に、
お食事に「とみや」をぜひご利用ください。
満天姫(まてひめ)は、関宿藩初代藩主の松平康元公の娘で、伯父である家康の養女となり慶長4年(1599年)に賤ヶ岳の七本槍の筆頭、福島正則の養嗣子・福島正之に嫁ぎます。しかし、正之が乱心のため幽閉されるに至り、満天姫は実家の松平家に帰されます。
慶長18年(1613年)再び伯父家康の命により満天姫は弘前藩2代藩主津軽信枚に再嫁することになりました。
しかし、信枚には既に関ヶ原の戦いを落ち延びた石田三成の娘「辰子」という側室が居りました。側室との確執はありましたが、満天姫と信枚の仲はよかったと言われています。
3代藩主は側室の子信義となりましたが、津軽家内の混乱を収め藩主を支え弘前藩の基礎を築き上げました。
その後津軽家は任地弘前を一度も離れることなく明治に至ります。今でも満天姫は弘前の人々の恩人として大切に祀られています。
新館は100名利用できる大広間を始め、20名様用の広間もございます。
発表会や会社でのご宴会、法事・法要のお食事にご利用いただいております。